仮面ライダーギーツ総合感想

仮面ライダーギーツを最終回まで見た感想です。

 

劇場版、スピンオフ等は見ていませんがある程度内容は知ってるくらいです。

 

ネタバレ、読者にとって好ましくない表現をすることがあるので嫌だったらブラウザバックしてください。

 

  • 比較的見やすい、らしいストーリー構成
  • ただしつまらない
  • 話が進まない
  • 後出しじゃんけんクソゲー
  • キャラ
  • 壮大で空虚な時間設定
  • テーマ
  • 倫理観
  • バックル・リボルブオン
  • 最後に

 

 

 

  • 比較的見やすい、らしいストーリー構成

良かった点としてはこれなんだろうね、ギーツは所謂シーズン制みたいな感じで8~10話くらいでデザグラのシーズンが変わって、次のストーリーを展開できる構成。

 

平成二期の後半、令和ライダーでも大体年明けの16話くらいで一区切りをしていく、戦隊も大体はそんな感じのイメージ。

 

それを半分くらいに切って見やすくしてるのは良いんじゃないかな、ギーツの場合上手く放送休止の週とか計算してデザグラを終わらせるようにしてたしね。

 

 

 

  • ただしつまらない

Q,何が?

 

A,全部

 

まあそんなわけで僕はギーツはつまらない、面白くない作品だと思いました。

 

1年間見ててマジで退屈だった。ピークすらないんだもん、何もない、虚無。

 

以下、つまらないと思った理由を要素ごとにまとめてます。

 

 

 

  • 話が進まない

さっき見やすい構成が良いんじゃないかって書いといてなんだけど、ギーツの場合これが致命的にかみ合ってない。

 

8~10話でストーリーに進展があるのはともかく、それって裏を返せばデザグラやってる間は基本的に話が進まないんだよね。

 

ギーツは各キャラにストーリーラインがあるみたいな感じだけど、

 

英寿・・・母親を探すためにデザグラで勝って願いを叶えてもらう、時々運営から情報を貰う

 

景和・・・世界平和を叶えるためデザグラに参加→退場者復活に変更、ジャマトが退場者じゃないかと疑う

 

祢音・・・本当の愛を見つけるためにデザグラに参加

 

道長・・・親友がライダーが原因で退場したから英寿を逆恨み、仮面ライダーをぶっ潰したいのでデザグラに参加

 

こんな調子で元々のストーリーラインが弱いどころかほぼないみたいな状態でスタートを切るんだよ。

 

で、突然ですが僕は仮面ライダーエグゼイドで一番嫌いなキャラは誰かって聞かれたら間違いなく花家大我を上げます。

 

なにかって言うと彼、最終回2話くらい前にして未だに「5年前俺がグラファイトを倒していれば……、バグスターを駆除していれば……」てな感じの事言うんだよね。

 

それを見てて心底うんざりしたんだよ「いい加減にしろよお前、ちょっとはその先の話をしろよ!」と。

 

そしてギーツのキャラクターのストーリーももれなく「その先の話」をまるでしないんだよね。

 

母親に会ったらどうなるの?

世界平和って具体的にどういうもの?

本当の愛ってなんなの?

仮面ライダーをぶっ潰してどうするの?

 

ギーツの序盤の基本が「デザグラに勝てば願いが叶う」だから裏を返せば「願いを叶えないと進展がない」となるんだよね。

 

元々の願いを叶えたとしてもどうにかなる未来が見えないんだけど。

 

そしてその間に何かしらの話で各々の願いに対する思いを強めるとかもほとんどない。

 

まああったとしても「もっと頑張る」くらいの回答しかないから詰んでるけど。

 

そして10話で英寿の願いを叶え、その後2シーズンも願いを叶える権限が後回しにされてしまう。

 

こんなんでストーリーが進むわけないし、その後ようやく叶った願いが道長の「仮面ライダーをぶっ潰す力」だからね、一番面白くない。

 

そしてその後は創世編に突入して「みんなが幸せになる世界」を目指し始める。

 

これもかなり酷くて、英寿は基本的に「願いつつければ叶う」、「信じ続ければ叶う」としか言わないんだよね。

 

先の話も、今までやって来た話もない状態でメイン3人の「幸せ」をまとめにいかないといけない、当然無いものをまとめても何もないよねとしかならない。

 

 

 

先程「デザグラをやっている間は話が進まない」と書いたわけだけど、

 

「じゃあデザグラが面白いのか?」と聞かれたら面白くありません。

 

目次にもある通り後出しじゃんけんクソゲーなので「攻略を楽しむ」だったり「ゲームの結果に一喜一憂」することができない。

 

以下具体例

 

宝探しゲーム及び海賊ゲーム・・・変身方法すら教えてもらわずにジャマトと戦わされます。

 

ゾンビサバイバルゲーム・・・ゾンビに噛まれると次第にゾンビになっていきます、なので参加者が別の参加者を陥れようとします、ゾンビになりかけているのに休憩中に平然と街中に出れます、でもゾンビを倒しきればゾンビ化は直ります、参加者はそんなルールを知りません。

 

神経衰弱ゲーム・・・二人一組でジャマトを倒してもらいます、開始時の参加者が奇数だったので運営からライダーを出します、運営ライダーは特に何もしません、パートナーを変える事もできます、パートナーが変わった事を知らないまま戦えます。ジャマトの数が少ないので点の取り合いも発生しません。

 

缶蹴りゲーム・・・ジャマトが守る缶を蹴った人が優勝です、缶はエリア外まで飛ばさないといけません、このルールは後で判明しました、最終的にジャマトが缶を丸呑みにしました、モンスターを使ってワンパンで吹き飛ばして解決しました。

 

迷宮脱出ゲーム・・・ジャマトが徘徊する屋敷から暗号を解いて脱出します、ジャマト語を使わないといけませんが前参加者の残したメモで何とかなりました。

 

椅子取りゲーム・・・ドライバーをジャマトに奪われたのでジャマトライダーを倒してドライバーを取り返します、ジャマトに使われたドライバーは壊れるわけでもないので全員が勝つ可能性があります、ちなみにジャマト全滅時にドライバーを物理的に持ってないと脱落してしまいます、それで負けたマヌケがいるようです。

 

デザスター・・・人気投票制のシーズンで参加者の一人が人狼になります、ゲーム休憩時と終了時毎に投票が行われ参加者全員の票が集まると脱落です、デザスターはラストゲームまでバレない→最後の2人になれば→結局ラストゲームは3人になったけどバレなかったら優勝です。

 

人気投票・・・その名の通りオーディエンスから支持を得たライダーの中で一番の人が優勝します、途中参加且つジャマトの手伝いをしているバッファも対象になります、彼が最後まで残るとどうなるのかは全く分かりません。

 

学園ゲーム・・・不良ジャマト達が尊敬しているのが校長ジャマトです、校長室がないので隠しミッションを達成して造らないといけません。

 

と、デザグラで上げただけでも「ツムリに聞いたら教えてくれそう」なレベルのルールを後出しにし、且つゲームとしても成立しているのか疑わしくなるのがいくつもある。

 

他にも

 

怪我や大病を患ってたら失格扱いにされる、参加権の譲渡、ゲームの途中参加、参加者の選定は厳正(コネあり)、ゲームマスターが認めないとゲームが終わらない等

 

これらは基本的にメインキャラを失格させないための無駄に手厚い保険なんだよね、他のモブにはつゆほども適応されない。

 

デザグラがボロボロなのでその後のジャマグラもデザロワも俺のデザグラもゲームとして成立していないので一貫して面白くない。

 

 

 

  • キャラ

キャラクターも壊滅的。

 

メインキャラクター:英寿

サブキャラクター:道長

モブキャラクター:その他

 

サブキャラクターを通り越してモブキャラクター

 

ギーツは基本的にメイン4人って感じなんだけどとにかく英寿以外のキャラクターが薄い、ともすれば回によって英寿ですら空気になるからね。

 

これはストーリーの欄でも書いたけど個々のキャラクターの持つストーリーが薄いからキャラに感情移入ができない。

 

所謂個人回に該当する回でもキャラに共感できない、それ以外のキャラは空気。

 

空気ってメインが目立つのは当たり前だろって思うかもしれないけどマジで「なんかいる」レベルの空気なんだよ、いてもいなくても同じだし、喋っても印象に残んない。

 

そして負の連鎖で空気がメインになった所で特に思うところもないという。

 

 

キチガイ:桜井景和

桜井景和は頭が平和なので他人の話をすぐに鵜吞みにし、どうしようもないくらいの自己中クズである、姉が絡めば周り全てを敵として認定し、バカなので関係の無い人間にも当たる。

 

これは空気と書いた景和に一貫して書かれた描写である。

 

ちなみに公式サイトだとこれは「普通」らしい。

 

……普通って何なんだろうね?

 

あれかな、新興宗教とか詐欺、闇バイトにホイホイと引っかかるのを「普通」って言ってるの?

 

別にそれを「普通」というのは構わないけど、「まともではない」よね。

 

景和は終盤の創世編のストーリーを止めてたわけなんだけど、まあこの止めた割にはその後の話が徒労でしかないのがね。

 

見てて「で、いつこのゴミはタヒんで退場するの?(どうせ退場しないで許されるんだろうな……)」としか思わなかったもん。

 

そして最後まで何の成長もないキャラだった。1年間画面に移り続けるモブ。

 

 

道長:アホ

 

「デザグラに参加してた友人が、ライダーが原因でジャマトにやられたから仮面ライダーをぶっ潰す!ついでにその場に居た無関係のギーツに八つ当たりするぜ!」

 

彼はこんな感じでスタートから既にかなり無理なキャラクターである。

 

その後も口を開けば「ライダーはぶっ潰す」としか言わない、ある意味では一貫性があるといえなくもないけどギーツは上記の景和にすらある方面に対しての一貫性はあるので個性にはなりえない。

 

そして中盤になって今更のごとく「デザグラ運営が悪いんじゃね?」と言い出す。

 

まあこれならまだましなのかと思いきやその後彼がデザグラ運営と戦う事は何故かないんだよね。

 

理由はたった一つ「仮面ライダーをぶっ潰す力を持っているから」

 

だから絶対に運営ライダーと戦わせるわけにはいかないんだよね。

 

その代わりにデザロワに参加しているんだけど、「幸せなんて願うから不幸になるんだよ」と新たな口癖を習得してライダーと戦いだす。

 

運営が悪いって話がなかったことになってるし、必要もないライダー狩りをちまちましてて「憂さ晴らし」にしか見えなかった。

 

そのくせ「全部終わらせてやる」とか言いながらついぞ運営放置だよ?

お前、この先も現れるであろうライダー被害者は考えてなかったのかよ……。

 

総じて道長は「現実を見ていない」、「劣化版駆紋戒斗」という印象。

 

 

その他は割愛、

 

祢音に関しては割と周りの人間が勝手に話をしていくので祢音自身の意思を感じなかった。

 

未来人勢は基本的に「バカの集まり」という程度。

 

ツムリ、大智とウィンも物語に特に必要ないのでどうでもいい。

 

 

 

  • 壮大で空虚な時間設定

デザグラは人類が滅んだあとの未来人達がエンタメを求め、紀元前頃の時代からエンターテイメントとして始めたもの。

 

ミツメが創世の女神になって以降、勝てば願いを叶えるリアリティーライダーショーとして変わる。

 

浮世英寿は母であるミツメを探すために二千年間転生を繰り返しながら、時としてデザグラに参加し、時としてデザグラとは無縁の人生を送る。

 

 

 

何をしていたの?

 

まあこの流れを聞いてまず疑問に思うことだよね。

 

英寿は二千年間も転生を繰り返しながらミツメを探していたわけだけど、むしろなんで見つけられないんだよというレベル。

 

二千年の時を超えて母親と再会するという壮大さの割りには中身はまるでない。

 

デザグラ運営はミツメの存在を二千年間も隠し通せるほどの存在だったのか!?→そんなことはありません、聞いたら教えてくれるし、記録にもしてるので調べようと思えば調べれます。

 

英寿はミツメが創世の女神であることを知らないから仕方がない……→聞けば知れる程度の情報を知らない意味が分からない。

 

英寿はデザグラで母親を探してたけど現代にまで伸びた→戦国時代くらいになぜか思い付きで「母親に会いたい」と願ったら拒否された。その後も運営を疑うこと無くデザグラで通算4回優勝し、その全てに「生まれ変わって世界を守る覚悟を決めたら力を送る」という内容の願いを保留させた。

 

まあ、現代に入ってからは母親探しに専念しているし……→ダウト、「死ぬまでデザグラに参加できる権利」はともかく働かなくて良いだの、何故か現代で生きているわけない母親に気づいてもらえるようにスターになるだの無駄な願いを叶えている。

 

英寿の転生設定てかなり初期の段階から考えられていたらしいけど、その割には肝心の中身を考えていたようには見えない。

 

あと創世編が一番ヤバかったけど英寿って基本的に「やる気があるようには見えない」んだよね。

 

これが英寿に対して感情移入できない障壁になっていた。

 

 

 

  • テーマ

ギーツのテーマ、多分「幸せ」とか「願い続ければ叶う」とかそういうの。

セリフでも結構言ってたしね。

 

それでこのテーマも残念ながら描けているようには見えなかった。

 

ストーリーの欄に書いた「その先の話をしない」というのがここでもいかんなく発揮されていて、

「他の人間を不幸にするような願いを叶えるのは幸せといえるのか?」

「幸せの総量が決められている世界で、みんなが幸せになるにはどうすればいいのか?」

「願い続ければ叶うっていうけど、それ結局創世の力頼みだよね?」

ここら辺の疑問が最終回で英寿が神様になった事で全部投げ出されているんだよね。

 

なんでも叶う世界にしたので願えば叶います(え、じゃあダパーンみたいなやつが願ったら人類滅亡するの?)

 

なんでも叶う世界なので幸せの総量もありません(そもそも幸せの総量がどのくらいあるのかも知らないし、それにそれで本当に幸せになってるの……?)

 

創世の力頼みも変わらず。

 

幸せの総量って「一応」デスゲームものであるギーツは他人を蹴落としたら蹴落とされた奴は不幸になる(幸せを奪われて願いに還元される)らしいけど、これって要は現実でも結構ある事ではあると思うんだよね。

 

ダパーンみたいなのよりは少しマイルドにして、誰か特定個人の不幸を願うのがその人にとっての幸せであるみたいなこと。

 

でもギーツってそういう話をずっと避けてきていて、ダパーンも創世編で出てきたわりには出落ちのゴミだった。

 

じゃあ幸せの総量も願い続ければ叶うも全部創世の力で解決してしまうしかないんだよね、それが原因でデザグラは歪んだはずなのに。

 

 

 

  • 倫理観

相変わらずです。

 

テーマでも書いてるけど、デザグラで幸せの総量だなんだと言っている割には「それで不幸になるやつもいるんじゃないの?」という疑問には全く触れる事もなく話が進んでいく。

 

倫理観イカレ筆頭は景和だと思われがちだけど僕は道長だと思っています。

 

あれ、普通に大量虐殺しときながら「ライダーになるやつを減らしたかったんだな」って言われた時、全然ピンとこなかったけど、

 

色々考えていてあれが「禊」だと気づいた時はまあビビったね。

 

なので道長クラスが許されるなら景和もケケラやベロバ、何だったらじっと含めた運営陣全員許されると思うんだけどね。

 

「罪を憎んで人を憎まず」

「人の心があれば改心できる」

 

人間かどうかを判断するのが「作中人物が認定した人の心があるかどうか」って……。

 

個人的に高橋脚本でやって欲しかった、というかいい加減答えろよって思っているのが「それでも救えなかった人間とどう向き合うか」なんだよね。

 

エグゼイドからずっと逃げているんだけど、今までは「(全く別の存在として)生き返っているから大丈夫」としていたわけだけど、ギーツを見ればわかる通り今回はそもそも触れもしない、完全に忘れ去られている。

 

因みに最終回でジーンが「願いをコストにしないデザグラ」を開催しようと言っていました。

 

これはあれかな、ツムリがマグナムシューターを真に向けるべきはジーンだったというネタかな。

 

まっさか本編後に映画やVシネに直接つながるとか言わないでしょう。

 

 

 

  • バックル・リボルブオン

マグナムニンジャ

マグナムビート

ゾンビビート

ニンジャモンスター

ブジンモンスター

ブジンブースト

 

突然ですが皆さん、これらのフォームが「具体的に何をしたのか」覚えていますか?

僕は覚えていません、これら出た「だけ」で、何もしていないフォームを「出ただけフォーム」と呼んでいます。

 

ギーツは設定上、バックルはどのライダーに来るのか分からないみたいなギャンブル要素があったらしいけど知っての通り有名無実と化しました。

 

基本的にバックルは固定、小物バックルは2クール目辺りで完全消滅、以後出てきても雑魚が使うので期待の持てないゴミと化す、強化バックルも基本的に専用なので「ゲーム性」とまるでかみ合わない事になった。

 

リボルブオンもヤバい、あれって要は「左右に分かれたバックルをわざわざ付け替えなくて便利」程度のギミックでしかない。

 

戦闘に何度か活かしてたけど、まあ数える程しかなく、「モードの切り替え」が一番ましかな程度。

 

ギーツⅨの変身過程でリボルブオンするのもむしろ「でも戦闘でリボルブオンできなきゃ意味なくない?」としか思えなかった。

 

上半身下半身で分けたのもかみ合っていない、やる事が

上半身:素手、あるいは固有の武器で殴ります。

下半身:基本的にエフェクト付きの蹴りです。

からしょうもなさすぎる、わざわざ分けた意味ないだろこれ。

 

当然別のライダーが同じバックルを使うも、戦い方を差別化できていないのであってないような要素です。

 

こんな感じでギーツのアクションも総じてつまらないです。

 

 

 

  • 最後に

この前Twitterで「ギーツが起こした革命」みたいなタグがあったけど、

僕が上げるとすれば「何もしていない事」だろうね。

 

世間的には安定した作風と言われてるけど、そりゃ何もしなければ安定はするよ。

 

中盤くらいまでは「奇跡的なくらいに全てがかみ合ってない」という印象だったけど、終盤見ていて「あー、これは何もしていないんだろうな」と思った。

 

その「何もしていない事」が露実に現れているのが創世編だろうね、一年間隠し通すのは無理だったのか、いや、隠そうとすらしていないから単に「飽きが来た」んだろうね。

 

スーパーマリオの映画が公開されたのでせっかくだからドラゴンクエストの映画を見てみた

ゲームという繋がりとしてもこのタイミングで見るのは良いんじゃないかと思った。

実際どっかで放送されないかなと思ってたけど、何やら著作権の関係で揉めているらしいので金曜ロードショーとかに期待するのは難しかったんだろう。

そんなわけで僕はネットフリックスで見ました。

 

一応何年か前にもうネタバレとか良いから何故そこまで「酷い」と言われてるのか調べたんだけど、まあ本当に酷いとは思ったな。

主にそのラストに関してはそりゃ叩かれるだろうよとなるよ。

そんなわけでこの記事は普通にネタバレするのでご注意ください。

 

 

 

目次

  • 「少年時代」スキップ
  • それは「ドラゴンクエスト」なの?
  • 諸々設定改変
  • ゲームのキャラクターだって生きているんだ」と言われても「心に響かない」
  • フローラという特異点的な存在と結婚イベントの弊害
  • このゲームのキャラクターは本当に生きているのか?
  • ただし「愛」はない

 

 

  • 「少年時代」スキップ

改めて思うのは「どういう世界観なのか」っていうのは結構気になるというかガバガバだよね。

旗には「体験」ってあったし、何かしらのそういうイベントで主人公君がゲームをあくまで体験したからある程度の制約があったのだろうか

それにしてはクリアまで言ってるんだよな、そこそこイベントは無視しているとは言っても。

ドラゴンクエストV」と明言していないあたりどれでも好きなナンバリングを選べてそれをざっくりクリアまで体験できるとかなんだろうか。

少年時代をスキップしたことによって結構キャラクター達が知らない人になってしまっているんだよね。

ヘンリーは王様にこだわってるし、ビアンカは割と主人公を煽って来る(個人的なイメージでは頼れるお姉さんと言ってもあそこまで行くと違和感あるよねって感じ)

まあその中でも最たるはリュカなんだろうね「なりきれる」ってなりきれてないと思うんだけど。

設定も割と改変気味、一応後々のストーリーとの整合性は意外に取ってる印象。

でも「ドラクエV」と言えば時代の変化は重要だと思うんだよ、それをスキップしてしまえば序盤を見てないのとおんなじなんだから。

その時点から躓いているとは思う。

 

 

 

オーク「うんこくせえ……」

このセリフはモブであっても「ドラゴンクエストのキャラクター」が言うセリフではないよね。

 

この作品のキャラクター達は結構そういう第四の壁というものを認識して生きてそうなキャラクターがいるんだよね、でもそうなって来ると「ドラゴンクエスト」ではなくなる気がするんだけどね。

作風の違いだったりはあっても致し方ないとは言っても「うんこ」だなんて言葉ドラクエじゃ使うイメージないからなあ……。

 

 

 

  • 諸々設定改変

一番印象的なのは帰って来る度に雪が降っている「サンタローズ」だな。

これって妖精イベントスキップしたせいで年中冬の状態が解決してないってことでしょ?

 

ヘンリーとの別れも味気ない、やっぱりドラクエVは少年時代から始まるからこういう別れに対して別れ惜しみたくなる気持ちが出てくるんだからカットするべきじゃなかったよなぁ。

 

ルドマン「フローラはお主がいなくなったと聞いて酷く泣き崩れたものだ」

これもどちらかと言えばビアンカの役回りだと思う、今作の尺的にフローラもたたせたいからそういうふうにしたんだろうけどさ。

 

パパスがルドマンと交流あるの、元々王家出身だったらあってもおかしくないとは思うけど今回性にグランバニアってあるだけで王族云々の話もカットされてるんだよね。

 

妖精、一瞬しか映んなかったけど宇宙人ぽさがあったな、そりゃあんな見た目ならロボットを試練に置けますわ。

 

 

 

  • 「ゲームのキャラクターだって生きているんだ」と言われても「心に響かない」

これを多分この映画のテーマにしたかったんだろうね、知らんけど。

でも結局全くと言っていいほど心に響かなかったな。

 

ある意味ではネタバレ見てたからダメージこそなかったけど、これを初見で見てたら

突然世界の時間が止まって、ゲームの世界だと一瞬にして分かるようになって、ウイルスが現れて「ここはゲームの世界なんだからさ、いい加減大人になれよ」なんて言ってくるんだよ?

このネタバレ見た時本気で頭がおかしいんじゃないかと思ったよ。

 

でネタバレ込みで見てもやっぱり「主人公」の演説は響かなかった。

これの大きな要因としては「主人公≠視聴者」があると思う。

 

あくまで「主人公」の操作する「ドラクエVのリュカ」であって「ドラクエVをやったことがある人」の知る「ドラクエVの主人公」ではないんだよね。

その証拠にリュカはしょっちゅうヘタレるんだよね、「本当に自分は天空の勇者なの?」、「こんなの勝てっこないよ」って感じに。

体験会にいたスタッフは確か「主人公の気持ちを味わえる」みたいなこと言ってた気がするけど、さっきも書いたようになりきれてないんだよね。

 

てかやっぱり「自己暗示」だの「少年時代スキップ」だの明らかに主人公の気持ちを味わえているとは思えないシステムがあると思うけど。

 

 

 

  • フローラという特異点的な存在と結婚イベントの弊害

ミルドラースもといウイルス君はマーサだけはうすうす自分の存在には気づいていたと言ってたけど、僕はこのゲームの特異点はフローラだとは思うんだよね。

 

結婚を引き受けたタイミングだと「言ってこなかったらどうしようかと」なんて結構下衆な考え持ってて印象悪かったけど。

女の勘とやらでリュカが本当はビアンカを愛しているんじゃないかと気づいていたわけだ。

その後老婆に化けて自己暗示プログラムを呪文として認識しているのはもうすごいよね。

僕がじゃああれはゲームだったけどその中で本当に生きているんじゃないかと思えるキャラクターにはなったよ。

 

見終わった後に色々考えて「実はフローラも誰かが操作していて主人公の自己暗示を見抜いたんじゃないか」とかは考えたけど、それだとフローラじゃなくなるよね。

 

ドラクエV」の大きなイベントとして「結婚」があるわけだけどこれも結構あっさりはしていた。

もともと「クエスト」なんてRPG系の世界観ならよくあるけどドラクエは9くらいにならないと意外にない(8は未プレイだからあるか知らないけど)んだよね。

 

フローラの根回しに対しても原作から改変しているせいか、それに対してリュカはかなりあっさり受け入れてビアンカを選んだんだよね。

原作だと割と感情的にはビアンカの方に重きが行くんだけど、ああいう影の努力ってのを見たらフローラもいいかもしれないって感じにはなる。

 

でも実際リュカの葛藤って「本当はビアンカが好きだった」ことにフォーカスが当てられていて、もうその時点でフローラの事は頭の中から消えていそう。

 

そして割と突っ込まれていたよね「ルドマンの逆鱗に触れたって体にしているのに、サラボナビアンカにプロポーズするなよ」ってね。

 

 

 

  • このゲームのキャラクターは本当に生きているのか?

突然だけど皆さんは「仮面ライダーエグゼイド」という作品をご存じだろうか?

その作品のバグスターってやつらがゲームの敵キャラクターとして襲ってくるんだよ、それで彼らが中盤で「俺達ゲームキャラクターだって生きているんだ!殺されるために生まれたわけじゃない」って主張をするんだよね。

 

ここら辺この映画のテーマ、っぽそうな「ゲームのキャラクターだって生きているしそこで過ごした時間は本物なんだ」ってテーマとも似通っているとは思うんだよね。

まあバグスターは厳密にはウイルスであってあちらはあちらでちょっと主語がマザルアップしていてややこしんだけどね。

 

エグゼイドないである時それまで味方をしていたバグスターが洗脳されて敵になってしまう。

主人公の永夢(エム)はそのバグスターの洗脳を解いてこう言うわけなんだよ、

「君は本当はみんなとダンスゲームがしたいんでしょ」って。

かなりうろ覚えだけど。

 

その後そのバグスターは自身のキャラクターを生み出した親にこう言うんだよ、

「私をこういう感じにプログラミングしてくれてありがとう」って。

 

この一連のやり取り、話のサブタイトルにも「アイデンティティーを越えて」ってあるんだけど結局

「そのバグスターのアイデンティティーが元のゲームキャラクターに準拠させただけじゃん?」と随分と不思議に思ったんだよね。

 

同じ脚本家が書いたゼロワンでも主人公が漫画家のアシスタントしているアンドロイドに「お前の夢は漫画家になる事じゃないのか?」みたいなことを言ってたんだよ。

結局それって「押し付けている」と取られるんだよ。

 

それで今回この映画を見て初めてそういう押し付けに対する理解があったとは思う。

 

上記したように「それってドラクエのキャラクターが言う事じゃないよね」っていうのもそうだけど更にこの世界のキャラクターは割と第四の壁を認識しているってのにも通じる。

 

プサンだったりマーサだったり「今回は」っていう、これがゲームである事を認識していそうな事をちょくちょく言っているわけなんだけど、僕はそれに対しても「ドラクエVのキャラクター」ひいては「ゲームのキャラクター」が言う事じゃないだろって思ったんだよ。

ゲームをやっていると結構メタセリフは見かけるとは思うけど、それってゲームをプレイしているから思わず二ヤリとなるネタだと思う。

それを映画でやられるとさっきの「ドラクエのキャラクターが言う事じゃないよね」っていうのも相まって、水を差された気分になる。

 

話を戻すけどそういう「僕がドラクエのゲームに求める事」をこの映画のキャラクター達に押し付けてしまっているのは間違いないとは思った。

エグゼイドはゲームキャラクターっていう近しいようで漠然として、それでいて著作権とかの関係もあるからわざわざそのゲームキャラクターを実際にあるマリオだったりドラクエのキャラクターを使えない。

 

だから僕はバグスターに共感はできてもその後彼らがゲームキャラクターに準拠した行動を生きているとされたのを不思議に思って、

この映画のキャラクターに共感はできなくて、ゲームキャラクターに準拠した行動をして欲しいなと思ったんだよ。

 

 

 

  • ただし「愛」はない

自論だし圧倒的自己主観だけどこの映画からは「愛」が感じられなかった。

BGMはドラクエの曲使ってくれてるし(それにしちゃなんでだか6の曲がよく使われてたイメージあるけど)、映像表現なんかもドラクエを映像化したらこうなるよねってなるんだけど。

やっぱりキャラクターの言動だったりに水を差されてしまう。

最たる例がやっぱり「少年時代をスキップした主人公」だよね、「本当にドラクエVやったことあるの?」って思っちゃう。

主人公君、本当に感情移入できないやつだったよ……。

 

余談だけどネタバレ記事見た時に「ロト剣が出てくる」って見て、どんだけ世界観壊せば気が済むんだよと思ったけどそりゃもう「ドラクエV」じゃなくなってるんだから出てきて当然だよな。

どうでもいいんだもん。