ゲームという繋がりとしてもこのタイミングで見るのは良いんじゃないかと思った。
実際どっかで放送されないかなと思ってたけど、何やら著作権の関係で揉めているらしいので金曜ロードショーとかに期待するのは難しかったんだろう。
そんなわけで僕はネットフリックスで見ました。
一応何年か前にもうネタバレとか良いから何故そこまで「酷い」と言われてるのか調べたんだけど、まあ本当に酷いとは思ったな。
主にそのラストに関してはそりゃ叩かれるだろうよとなるよ。
そんなわけでこの記事は普通にネタバレするのでご注意ください。
目次
- 「少年時代」スキップ
- それは「ドラゴンクエスト」なの?
- 諸々設定改変
- ゲームのキャラクターだって生きているんだ」と言われても「心に響かない」
- フローラという特異点的な存在と結婚イベントの弊害
- このゲームのキャラクターは本当に生きているのか?
- ただし「愛」はない
- 「少年時代」スキップ
改めて思うのは「どういう世界観なのか」っていうのは結構気になるというかガバガバだよね。
旗には「体験」ってあったし、何かしらのそういうイベントで主人公君がゲームをあくまで体験したからある程度の制約があったのだろうか
それにしてはクリアまで言ってるんだよな、そこそこイベントは無視しているとは言っても。
「ドラゴンクエストV」と明言していないあたりどれでも好きなナンバリングを選べてそれをざっくりクリアまで体験できるとかなんだろうか。
少年時代をスキップしたことによって結構キャラクター達が知らない人になってしまっているんだよね。
ヘンリーは王様にこだわってるし、ビアンカは割と主人公を煽って来る(個人的なイメージでは頼れるお姉さんと言ってもあそこまで行くと違和感あるよねって感じ)
まあその中でも最たるはリュカなんだろうね「なりきれる」ってなりきれてないと思うんだけど。
設定も割と改変気味、一応後々のストーリーとの整合性は意外に取ってる印象。
でも「ドラクエV」と言えば時代の変化は重要だと思うんだよ、それをスキップしてしまえば序盤を見てないのとおんなじなんだから。
その時点から躓いているとは思う。
- それは「ドラゴンクエスト」なの?
オーク「うんこくせえ……」
このセリフはモブであっても「ドラゴンクエストのキャラクター」が言うセリフではないよね。
この作品のキャラクター達は結構そういう第四の壁というものを認識して生きてそうなキャラクターがいるんだよね、でもそうなって来ると「ドラゴンクエスト」ではなくなる気がするんだけどね。
作風の違いだったりはあっても致し方ないとは言っても「うんこ」だなんて言葉ドラクエじゃ使うイメージないからなあ……。
- 諸々設定改変
一番印象的なのは帰って来る度に雪が降っている「サンタローズ」だな。
これって妖精イベントスキップしたせいで年中冬の状態が解決してないってことでしょ?
ヘンリーとの別れも味気ない、やっぱりドラクエVは少年時代から始まるからこういう別れに対して別れ惜しみたくなる気持ちが出てくるんだからカットするべきじゃなかったよなぁ。
ルドマン「フローラはお主がいなくなったと聞いて酷く泣き崩れたものだ」
これもどちらかと言えばビアンカの役回りだと思う、今作の尺的にフローラもたたせたいからそういうふうにしたんだろうけどさ。
パパスがルドマンと交流あるの、元々王家出身だったらあってもおかしくないとは思うけど今回性にグランバニアってあるだけで王族云々の話もカットされてるんだよね。
妖精、一瞬しか映んなかったけど宇宙人ぽさがあったな、そりゃあんな見た目ならロボットを試練に置けますわ。
- 「ゲームのキャラクターだって生きているんだ」と言われても「心に響かない」
これを多分この映画のテーマにしたかったんだろうね、知らんけど。
でも結局全くと言っていいほど心に響かなかったな。
ある意味ではネタバレ見てたからダメージこそなかったけど、これを初見で見てたら
突然世界の時間が止まって、ゲームの世界だと一瞬にして分かるようになって、ウイルスが現れて「ここはゲームの世界なんだからさ、いい加減大人になれよ」なんて言ってくるんだよ?
このネタバレ見た時本気で頭がおかしいんじゃないかと思ったよ。
でネタバレ込みで見てもやっぱり「主人公」の演説は響かなかった。
これの大きな要因としては「主人公≠視聴者」があると思う。
あくまで「主人公」の操作する「ドラクエVのリュカ」であって「ドラクエVをやったことがある人」の知る「ドラクエVの主人公」ではないんだよね。
その証拠にリュカはしょっちゅうヘタレるんだよね、「本当に自分は天空の勇者なの?」、「こんなの勝てっこないよ」って感じに。
体験会にいたスタッフは確か「主人公の気持ちを味わえる」みたいなこと言ってた気がするけど、さっきも書いたようになりきれてないんだよね。
てかやっぱり「自己暗示」だの「少年時代スキップ」だの明らかに主人公の気持ちを味わえているとは思えないシステムがあると思うけど。
- フローラという特異点的な存在と結婚イベントの弊害
ミルドラースもといウイルス君はマーサだけはうすうす自分の存在には気づいていたと言ってたけど、僕はこのゲームの特異点はフローラだとは思うんだよね。
結婚を引き受けたタイミングだと「言ってこなかったらどうしようかと」なんて結構下衆な考え持ってて印象悪かったけど。
女の勘とやらでリュカが本当はビアンカを愛しているんじゃないかと気づいていたわけだ。
その後老婆に化けて自己暗示プログラムを呪文として認識しているのはもうすごいよね。
僕がじゃああれはゲームだったけどその中で本当に生きているんじゃないかと思えるキャラクターにはなったよ。
見終わった後に色々考えて「実はフローラも誰かが操作していて主人公の自己暗示を見抜いたんじゃないか」とかは考えたけど、それだとフローラじゃなくなるよね。
「ドラクエV」の大きなイベントとして「結婚」があるわけだけどこれも結構あっさりはしていた。
もともと「クエスト」なんてRPG系の世界観ならよくあるけどドラクエは9くらいにならないと意外にない(8は未プレイだからあるか知らないけど)んだよね。
フローラの根回しに対しても原作から改変しているせいか、それに対してリュカはかなりあっさり受け入れてビアンカを選んだんだよね。
原作だと割と感情的にはビアンカの方に重きが行くんだけど、ああいう影の努力ってのを見たらフローラもいいかもしれないって感じにはなる。
でも実際リュカの葛藤って「本当はビアンカが好きだった」ことにフォーカスが当てられていて、もうその時点でフローラの事は頭の中から消えていそう。
そして割と突っ込まれていたよね「ルドマンの逆鱗に触れたって体にしているのに、サラボナでビアンカにプロポーズするなよ」ってね。
- このゲームのキャラクターは本当に生きているのか?
突然だけど皆さんは「仮面ライダーエグゼイド」という作品をご存じだろうか?
その作品のバグスターってやつらがゲームの敵キャラクターとして襲ってくるんだよ、それで彼らが中盤で「俺達ゲームキャラクターだって生きているんだ!殺されるために生まれたわけじゃない」って主張をするんだよね。
ここら辺この映画のテーマ、っぽそうな「ゲームのキャラクターだって生きているしそこで過ごした時間は本物なんだ」ってテーマとも似通っているとは思うんだよね。
まあバグスターは厳密にはウイルスであってあちらはあちらでちょっと主語がマザルアップしていてややこしんだけどね。
エグゼイドないである時それまで味方をしていたバグスターが洗脳されて敵になってしまう。
主人公の永夢(エム)はそのバグスターの洗脳を解いてこう言うわけなんだよ、
「君は本当はみんなとダンスゲームがしたいんでしょ」って。
かなりうろ覚えだけど。
その後そのバグスターは自身のキャラクターを生み出した親にこう言うんだよ、
「私をこういう感じにプログラミングしてくれてありがとう」って。
この一連のやり取り、話のサブタイトルにも「アイデンティティーを越えて」ってあるんだけど結局
「そのバグスターのアイデンティティーが元のゲームキャラクターに準拠させただけじゃん?」と随分と不思議に思ったんだよね。
同じ脚本家が書いたゼロワンでも主人公が漫画家のアシスタントしているアンドロイドに「お前の夢は漫画家になる事じゃないのか?」みたいなことを言ってたんだよ。
結局それって「押し付けている」と取られるんだよ。
それで今回この映画を見て初めてそういう押し付けに対する理解があったとは思う。
上記したように「それってドラクエのキャラクターが言う事じゃないよね」っていうのもそうだけど更にこの世界のキャラクターは割と第四の壁を認識しているってのにも通じる。
プサンだったりマーサだったり「今回は」っていう、これがゲームである事を認識していそうな事をちょくちょく言っているわけなんだけど、僕はそれに対しても「ドラクエVのキャラクター」ひいては「ゲームのキャラクター」が言う事じゃないだろって思ったんだよ。
ゲームをやっていると結構メタセリフは見かけるとは思うけど、それってゲームをプレイしているから思わず二ヤリとなるネタだと思う。
それを映画でやられるとさっきの「ドラクエのキャラクターが言う事じゃないよね」っていうのも相まって、水を差された気分になる。
話を戻すけどそういう「僕がドラクエのゲームに求める事」をこの映画のキャラクター達に押し付けてしまっているのは間違いないとは思った。
エグゼイドはゲームキャラクターっていう近しいようで漠然として、それでいて著作権とかの関係もあるからわざわざそのゲームキャラクターを実際にあるマリオだったりドラクエのキャラクターを使えない。
だから僕はバグスターに共感はできてもその後彼らがゲームキャラクターに準拠した行動を生きているとされたのを不思議に思って、
この映画のキャラクターに共感はできなくて、ゲームキャラクターに準拠した行動をして欲しいなと思ったんだよ。
- ただし「愛」はない
自論だし圧倒的自己主観だけどこの映画からは「愛」が感じられなかった。
BGMはドラクエの曲使ってくれてるし(それにしちゃなんでだか6の曲がよく使われてたイメージあるけど)、映像表現なんかもドラクエを映像化したらこうなるよねってなるんだけど。
やっぱりキャラクターの言動だったりに水を差されてしまう。
最たる例がやっぱり「少年時代をスキップした主人公」だよね、「本当にドラクエVやったことあるの?」って思っちゃう。
主人公君、本当に感情移入できないやつだったよ……。
余談だけどネタバレ記事見た時に「ロト剣が出てくる」って見て、どんだけ世界観壊せば気が済むんだよと思ったけどそりゃもう「ドラクエV」じゃなくなってるんだから出てきて当然だよな。
どうでもいいんだもん。